「二度目の人生を異世界で」の出荷停止ニュースを見ておもったこと
インターネットの発言に責任は付帯する
ライトノベル「二度目の人生を異世界で」の作品中の表現およひ作者の過去のヘイトスピーチを考慮し、出版元のホビージャパンが出荷停止を行っているニュースをこの2日でよく見かけた。
さらには、アニメ化も中止だそうで、ファンの間では「表現の自由の侵害」であるとか「なぜ、二度目の~作者だけこうした目にあうのか?」という声が上がっているのを関連ニュースのコメント欄で見かけた。
確かに、作品とは別にヘイトスピーチ、もしくは考えが相容れない思想や文化を批判する作家は何人かいる。彼らがいくら批判しても作品の出荷停止という話はなかなか聞かない。代わりに外部の委員だったり、何かの審査員を降ろされるみたいな話はちょくちょく聞く。
私は「二度目の~」は、今回のニュースで初めて作品名を知ったので、特に言及することはない。個人的にはヘイトスピーチは一定の責任のもとに話す分には、しょうがないとは思うが、別にこれが発言者にとってプラスに転じるかどうかということについては疑問である。
インターネットと現実社会は、10数年前は別のものと捉えられている節もあったが、最近ではこれらは密接になり、現実社会の一部、もしくは延長線上にインターネット社会は存在している。
なので、現実社会と仮想社会で人格を分けているのは、10数年前はカルチャーとして成立していたが、現在においてはそうは見られない。現実社会の当人と強く紐づけられているので、発言には注意をする必要があるし、不用意な発言をする場合においても問題が生じれば、責任が発生する。
関連ニュースのコメント欄で「では、これからはヘイトスピーチをした作家の作品はすべて出荷停止になるんですね」というコメントがあった。これこそ、先日注目された「文字は読めるが文章が読めない人」の典型的な反応だなと感じた。
今回の出荷停止は、「二度目の~」のステークホルダー間での決定だろう。個別案件を例に全体に浸透させようという動きは政治の世界にも見られるが、そのあたりは切り離して考えたほうが良い。
ということを思ったのでメモ。