Q&A

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自分自身に聞き、自分自身に答えるQ&A + メモ(というか、ほぼメモ) 。

30分強で、ちょっとだけ絶望を味わえる文章を書いてください

Q.30分強で、ちょっとだけ絶望を味わえる文章を書いてください。

 

A.挑戦してみます。

 

日常を振り返ると、日々、一日一日が早くすぎるようになった。月曜日が来て、あっという間に木曜日になり、金土日は少しゆっくりと時が流れる。そして、月曜日を迎える。

 

ひたすらコンテンツ作りをして、疲れては横になる。制作を終えれば達成感から多幸感も得られ、ひとときの休息。目の前にある食べ物は、それが安価な冷凍うどんでも美味である。制作物の大半はインターネットに公開されるが、ファンを持たない私につく閲覧数は一桁から二桁。なにも考えずに大手と比べて絶望する。やる気がなくなってポータルサイトやSNSを開いたら、不安をあおるニュースと見たくない批判が目に入り、げんなりする。

 

身体を壊してから、ゆっくりと過ごそうと思った。今の生活にそれほど不満はないが金もない。働きに行こうとも考えるが間違いなく再発するだろうし、そうでなくても症状が悪化する。調子が悪くなったらすぐ横にならないといけない。その日のうちに出来ることはその日のうちにやっておきたい。

 

若い頃は体力があった。22時間働いて2時間デスク下の床で寝ても、なんとか体力は繋げていた。やりたいことは先延ばしにしていた。いま一生懸命働き、お金にも時間にも余裕が出たらやりたいことに手を伸ばそうと思った。10数年、休みはそれほど取らず、人が休んでいるときも仕事をすることで差が出るという自己啓発を信じていた。

 

身体を壊した。その後、コロナ禍が来た。当初は良い療養期間だと思ったが、身体が治るにつれて、やる気はなくなってきた。行きたかった海外にも行く気が起きないし、どこか国内の街に遊びに行こうとも考えたがコロナ禍で億劫になってしまった。頭の中で想像すると、どの街にも全国チェーンの店が進出しているので代わり映えしないだろうと。そう考えたら気力が削がれてしまった。

 

私が働いていた業界はすっかり廃れてしまった。個人店が多かったが大手チェーンに駆逐された。むかしは遠い街に行って、個人的の雰囲気を堪能するのも楽しかったが、いまはそれができない。残っている個人店も状況は良くないと聞く。地域差や文化の差が店舗にはあり、それが味になっていたのだが「差」を好まない人たちの運動の結果、全国津々浦々「差」が縮められた。つまり、どこにいっても同じ顔ぶれ、同じメニューになってしまった。そうすると残るのは資金力のある大手ということになった。

 

それも時の流れだろうし、受け入れる部分ではある。ただ、長年過ごした場所やモノが無くなると、自分の土台がバラバラっと崩れるようなヒビの入ったような感覚になる。少し足元がグラグラしている。セーフティネットはあると聞くが、誰も助けてくれないような感覚になる。

 

何か がむしゃらに信じられるようなモノが欲しい。と願う時もある。これをしていれば安心だ!というものが欲しい。それが見つかれば邁進できる気がする。

 

それが見つからない。今日、素晴らしいとされていたことが数年後には最も良くない行為と非難されるだろう状況を見てきた。言い換えれば、過去の常識が今では通用しない。今、通用しないことは過去に遡ってでも非難する。そういう雰囲気がある。げんなりする。みんな、顔も見えない世の中に嫌悪していて、自分だけが苦しいような気がしている。時折、魔が差す。ただ、私は自死の才能がなかったので、魔が差したときは、何かでごまかしている。